四脚門(赤門)

恵林寺の南の入口に建つ総門(通称:黒門)から入って、参道を進むと見えてくるのが四脚門(通称:赤門)。徳川家康の再建と伝えられるもので、国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に堂々と掲げている。

三門

四脚門(赤門)をくぐり庭園を進んでいくと、次なる門が見えてくる。県の重要文化財に指定される三門である。この三門には織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられているが、現在のこの三門は、まさしくその悲劇の現場に建てられている。

開山堂

三門をくぐって正面に見えるのが甲州市指定文化財の開山堂である。夢窓疎石(むそうそせき)、快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されている。

庫裡

禅寺のなかでもめずらしい、日本有数の大庫裡。信長による焼き討ちの後、徳川家康によって再建された壮大な伽藍は、明治38年の火災によってそのほとんどを焼失。現在の本堂、庫裏も、明治末期に再建されたものである。戦中には東京の学童疎開の場となり小学生約150人が寄宿生活を送った場所である。

方丈庭園

本堂の正面を進むと、左手にみえるのが枯山水式の庭園である。力強い枝振りの松がそびえ、西の端に勅使門がある。

本堂

本堂には、ご本尊の釈迦如来が安置されている。本堂西の間は貴人席となっており勅使が端坐される間がおかれている。

うぐいす廊下

日本の古来の建築物に見られる、人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴る様につくられた仕組みを、うぐいす張りという。外部侵入者の危険探知の為に設けられたのがはじまり。廊下を歩くと、うぐいすの鳴くような音が聞こえてくる。

明王殿

武田信玄公が生前に対面で摸刻させたという、等身大の不動明王が安置されており、「武田不動」として尊崇されている

武田信玄公墓所

1573年、53歳で亡くなった信玄公はここに眠っている。 以来、命日の4月12日には毎年供養が行われており、武田家家臣の墓約70基も信玄公を慕うかのように墓所後陣に並んでいる。
*通常非公開(毎月12日のみ特別公開)

柳沢吉保公墓所

徳川幕府の側用人だった柳沢吉保公の墓所である。正室・定子の墓石も並んでいる。自らの出自が信玄公と同じ甲斐源氏の一族、武川衆であることを強く自負していた吉保公の想いをくんで、柳沢家の大和郡山への転封にあたり、吉保公夫妻の墓所のみ、ここ恵林寺に設けられた。

柳沢吉保公霊廟

木造彩色 柳沢吉保坐像が霊廟の中に納められている。束帯で公事に着用する正装姿で、吉保自筆の納め状によると正徳元年(1711)に製作されて信玄菩提寺の恵林寺へ奉納安置した。

恵林寺庭園

国の名勝指定を受けている庭園。今日、恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名である。700年近い歴史を経たその姿は、四季折々に違った情景をみせる。